泣きたいだけ

 焼き上がった肉は固かった。
 筋が多く残っていて噛み切れず、最後は「エイヤッ」と勢いをつけて飲み込まなければならなかった。
 テレビも点いていない部屋で二人沈黙して、もそもそと肉をはむ。

 前日の水っぽい雪はやはり積もらなかったが、外気の冷たさは部屋にいても容易に想像できる。
 ここ数日、私はいろいろ億劫で、休日のその日もほとんどを寝て過ごしていた。

 「生気がない」
 くたびれた部屋着にすっぴんで出迎えた私を見るなり、恋人は言った。
 「肉はいいんだよ。やっぱり元気が出るよね。鬱にも効くんだって、はるちゃん」
 と大きな牛肩ロース肉を取り出し、彼は極寒のキッチンで下準備を始めた。
 私は別に鬱ではないが「ふぅん」と返事をして部屋に戻り、一人手酌でワインを飲んだ。

 「うん……肉、って感じ」
 嘘にならない精いっぱいの言葉をかけたが、彼は明らかに落胆していた。
 残念な肉を前に私は早々に箸を置き、隣で口を動かし続ける彼を眺めた。

 このところずっとむしゃくしゃしているのは、生理前だからだ。
 固い紙を握りつぶすような苛立ちも、張り付く眠気も無気力も、そのせいのように思う。
 些細なことで心が毛羽立ち、自分で自分を持て余す。
 仕事中、私の涙腺はシュンシュンとヤカンが沸騰する直前みたいな音を立てている。

 その主たる原因は、ホルモンなのだった。
 身体の周期的変動に、心が左右されている。
 身体に勝てない心。
 私の不安定さは、“敏感な感受性”“繊細さ”なんて大層なものではなく、単なる日頃の不摂生によるホルモンバランスの崩れからなのか。
 月一恒例のようにして、決まって情緒の暴動を起こす私は、なんだか愚かっぽい。

 そんなとき、
 やけくそみたいに甘えたくなる。
 真夏のチョコレートのように、ベタベタと彼に張り付いて、離れないで、絡みついていたい。
 決して愛おしさからではなく。
 滅茶苦茶に甘えるのも、滅茶苦茶な八つ当たりと同じ。
 暴力だ。
 中に渦巻く混沌もろとも私を投げつけて、理不尽に彼にぶつけたかった。

 現実には、飴玉ほどにも甘えられず、仏頂面の私を彼がひたすら気遣うだけだった。
 ぶってくれたらいいのだ。
 やけくそで甘えても八つ当たりしても、どうしたって消えないトゲトゲがあって。
 王様のように、私の中で傍若無人に振る舞う情緒を、身体の痛みで懲らしめてやりたかった。
 常にうっすらとある「罰してほしい」という願望が、酔いのまわった頭に浅はかに浮かぶ。

 別れ際にハグをして、いつものように彼は帰っていった。
 手渡されたぬくもりは、風に吹かれてすぐに消え、満たされない思いが残る。
 そんな私を、赤い月が見下ろしていた。

 その後すぐに生理が始まり、うずくまるほどの生理痛に思わず涙が出て、やっと私は安堵した。
 泣きたい気持ちだけは、バイオリズムなんて関係なく、本当は、いつだって泣きたい。
 泣きたいだけ。
 泣かせてくれる理由を、世界に、彼の中に探し続けている。