地下都市とモテ
人に心があることを、忘れている間はやり過ごせる。
朝の通勤電車、休日の街中。行き交う人、人、人。
その容れ物の中すべてに、“精神”がある。
そのことが脈絡もなく唐突に意識の上にのぼってくると、たちまち恐ろしくなって足が竦む。
人の内面は、地上から何万メートルも深く潜った地下都市のようなイメージだ。そこで膨大な感情や思考が渦巻いている。明るいのも、暗いのも。
何十億という人一人一人が抱えているそれらのことを想像すると、果てしなさに気が遠くなる。
ひしめく人間たちが、目に見える顔、身体の奥に、同じ数だけ心を潜ませている。表面からはうかがい得ない。皮膚に隠したその中で何を思い、何を考え、何を感じるのか。
人の姿はやがて、地下都市へ続く黒い穴となって、いくつも私を取り囲んでいる。
怖い。圧倒的だ。
日曜。終電一本前の電車に乗る。月曜まであと数分、車内はすいていた。
ある駅で、酔っ払いらしい三人の若者が乗り込んできた。それぞれだらしなく手足を伸ばし長座席を占領したが、うるさく騒ぎたてることもなかったので幾分かホッとしていた。三人はすぐに眠り込んだ。
電車がしばらく走ると、そのうちの一人、豆腐のように白い顔をした男がフラフラと立ち上がった。よろめきながら車内を歩いていき、ドア付近にしゃがみこんで吐き始める。ああいやだ、と私は思う。
男は落ち着くといったん座席に戻るものの、何度も立って吐く。ついには二人の連れを残して一人、ホームに転げ出るようにして電車から降りてしまった。
眠りこけていた残りの二人はやがて降車駅に着いた様子で、目を覚ますとそのまま何事もなく降りて行った。
私はそれを見て、少なからず動揺したのだ。
おそらく途中下車した男は彼らの友人だろう。LINEなどですぐに連絡は取れるにしても、いなくなった友人についてそんなに心配しないものだろうか。
友人関係とは、そんなになおざりでいいんだ、と。
人と一緒にいるときには、ちゃんと相手と向き合っていなければならない。それが礼儀だ。
強迫観念のように、そう身に沁みついている。
誰かといるときはその誰かが中心なので、頭の中でさえ自分のことが何もできない。瞬間瞬間の対応に気が休まらない。
だからこそ窮屈で、それは自分の、誰からも嫌われたくない性分のせいでもあるのに、時折人といることに勝手にひどく疲れてしまうことがある。
真っ向から向かい合うには、ただ一人、恋人である彼だけで私には手いっぱいだ、と思う。
かつて職場の同僚が、ニコニコしながら近づいてきて言ったことがある。
「ねぇ、玉木さんがなんでモテないか教えてあげようか」
私は純粋に興味があったので聞いてみた。
「え、なんでですか」
「人に、常に全力だから」
思わずハッとした。
「安心はするけどね」フォローするようにそう付け足して、彼は軽やかに去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、私は妙に納得して嘆息を漏らした。
嫌われたくないばかりに、誠意を全面にあらわして目の前にいる相手と接していたつもりだったが、どうやら“モテ”に関しては、時につれなく素っ気なく振る舞うことも有効らしい。
それを、私はこのとき教えられたのである。
地下都市を前に、やはり私は右往左往だ。