そこにいるふたり

 今日もまた、恋人は寝た。

 彼はアルコールが入るともうダメで、気付けば船を漕いでいる。
 缶ビール片手にテーブルに突っ伏して、
 フローリングの床に丸くなって、健やかな寝息を立てている。
 二人でいて、恋人が寝てしまうたびに、私は怒る。
 またか、とお互いが脱力するほど、
 何度でも何度でも、同じことで私たちは険悪になる。

 「はるちゃんも一緒に寝ればいいじゃん」
 「無理矢理にでも起こしてよ」
 そう言われても、私は人がいると眠れない。
 無理強いは、それがなんであれ申し訳なさとためらいがある。
 そして大概、起こしたって起きないのだから、
 そのことにまたイライラさせられる。

 恋人と同じ空間を共有しているとき。
 それぞれ好きなことをして過ごしたとしても、
 ただ意識だけは、“そこ”に残しておいて欲しいと思う。

 “一人”を望むけれど、
 一人でいるときの“一人”と、二人でいるときの“一人”は違う。
 たとえ相手に意識がなくとも、
 そこに二人がいる限り、
 そこに彼の存在がある限り、私にとっては異物であり、
 結局本当に一人のようにはいられない。
 他人の気配を感じる間は、私の精神が安らかに弛緩することはない。
 それならば、
 結局“一人”にはなれないのならば、うつつのままで。
 二人でいるなら、そこに思考も感情もある“二人”の方がいい。

 こと恋人に関して、彼と会う時間は
 自分の時間を犠牲にしている、という思いが強い。
 「私は私の時間を削って会っているのに」
 私を放って一人勝手に寝てしまう彼に、
 ただ単純に、傲慢に、腹を立てているだけとも言える。

 「寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ……」
 うわごとのようにそう呟く彼の姿は不憫だ。
 眠気で朦朧としながら、約一駅分の距離を歩いて帰る彼に対して
 申し訳ないとも思う。

 それでも、彼を見送りドアを閉めた瞬間、
 思わず安堵のため息が漏れる。
 そして閉じた部屋で一人、解放感に浸りながら彼を思い返し、
 「ああ好きだな」と再確認したりするのだ。
 まるで一緒にいるときよりもいないときの方が、
 彼のことを好きかのように。
 「実体」としての彼よりも、
 「概念」としての彼の方が、好きかのように。

 頭の中だけで完結してしまう彼への想いを、
 時に現実の彼自身が邪魔をすることがある。
 一人のときにこそ、(自分勝手な)想いは熟し、(自分勝手に)恋心は募る。