あなたとわたしの袋小路

 随分と、変わったものだ。
 手は繋いでいても、こちらに寄り掛かる心地よい重さは感じられない。
 私の恋人。

 「私たち、共依存の時期がたしかにあった」
 そう言うと、「うん」
 子供のように素直にうなずくので、
 あ、自覚はあったんだ、と逆に少し驚いた。
 「でもいつのまにか、あなたはそこから抜けたよね。どうしてなの? どうして変わっちゃったの?」
 「それは……」
 音楽をがんばっているから。
 彼は答えた。
 「まだ全然足りないけど、でも前よりは向き合っているから」

 「ふぅん」
 おもしろくない。
 「頼む、俺を捨てないでくれ」
 「俺、はるちゃんがいなくなったら本当になんにもないんだよ」
 泣き言を言いながら、しょっちゅう私の腰にしがみついてきた
 かつての恋人が、
 その髪を優しく撫でるのが、私は愛おしかったのに。

 売れないバンドマンの彼はずっと、
 「音楽」で食べていくことを目標にしてきているが、
 私は、「売れなければいいのに」とも思っていた。
 応援したい気持ちはもちろんある。
 けれど、いつまでもそうして、自信がないまま、
 私がいなければダメだと、
 私しかいないと、頼り続けていて欲しかった。

 私はといえば、彼しかいない。
 元来一人が好きなので、
 「会いたい電話したい、毎日ずっと一緒にいたい」
 そういった類の行き過ぎた要望で彼を困らせることはない。
 ただ、友人が一人もいない私にとって、
 恋人は親友の役割もまた担っている。

 それは、孤島の私と社会とをつなぐ、架け橋のような存在かといえば
 なんだかしっくりこない。
 架け橋、というよりも、彼は私の空気穴である。

 多くは自分について、
 偏ることなく俯瞰で捉えたいと考えている。
 しかし一人でいると、客観性を失う。
 自分の思い込みばかりが頭の中で闊歩して、視野が極端に寄る。どんどん自分の決めつけが強くなる。
 時折、むせかえるほどに充満した“自分”に自分が窒息しそうになる。
 そこに穴をあけて、私を薄めてくれるのが彼なのだ。

 「出た、またはるちゃんの極端」
 茶化されて、ああ、と我に返ることがある。

 ただ、詞を書きステージで歌う彼なのに、自分に酔うことを許さない。
 他人が自分に酔っている姿も、ひどく嫌う。
 許してくれない。
 私はたびたび感情的になって、その昂りをぶつけるが、
 彼はすぐさまとりなして場を収めようとする。
 それは自分の思いや自分自身がその程度のものだと、踏みにじられたような。
 私は少し傷つく。
 冷静さを突き付けられて、まるで自分がバカのように思えてくるのだ。
 「私は、他の人から見てもそんなにダメなのかな。他人に引け目を感じるのは、あなたがそう思わせているんじゃないの」
 「……わからないよそんなの」

 彼だけがすべてじゃない。
 しかし彼しかいないから、広い世界がわからない。
 二人だけではわかりえない価値観の存在、可能性を。
 二人だけの限界を、感じている。

 突然ブチ切れられたり、無茶な要望をゴリ押しで通そうとしたり。
 仕事で理不尽な目に合うと、恋人のことを考える。
 それはもう自動的に。
 「私には、彼がいるから大丈夫」
 そして「あ、依存依存」と、自分をたしなめる日々である。