それは個性か障害か

 最近、ある書籍についての内容紹介をふと目にしたとき、「これって私のこと?」と思った。それから色々と調べてみると、やはり面白いように当てはまる。
 自分は、軽度の障害を持っているのかもしれない、と思った。

 恋人は、
「俺も調べてみたけど、ああいうのはよくある星座診断や血液型の説明書みたいなもので、誰だって多少は当てはまる。それを障害だって言うなら、みんなそうだよ」
 と言った。私を気遣っての言葉にも聞こえたが、私には「つらくても苦しくても、悩みながら頑張ってるのはみんな同じ。自分は特別だなんて考えるな。大目に見てもらおうなんて思うな」と、彼がなんだか怒っているようにも感じられた。
「うん。でも私は、そう思っていた方が楽になれる部分もあるの」
 静かに反論すると、
「ふうん……そういうもんかね」と、彼は納得のいかない顔で呟いた。

 「どうして自分が“こう”なのか」、ずっとハッキリ掴めずにいた。
 どうしてみんなと同じようにできないのか。
 どうして人の気持ちがわからないのか。
 「1+1=2」みたいな正しさで、共通認識として周囲で話されていることが、どうして私にはピンとこないのか。
 あまたの“どうして”を突き詰めていけば、やがて自分の人間性の問題へと行きつく。
 私には心がないのかもしれない。まわりの誰よりも冷たく、劣った人間なのかもしれないと、自分で自分を責め続けた。
 しかしここで見つけた原因らしきもの、それが先天的なものであることによって、「努力すれば“できる”のに、怠っているから“できない”」わけではなかったのだと、(すべてがそこに起因するわけではないだろうが)そう思えることでだいぶ気が楽になるのだった。

 先日地元に帰り、母と会って話をした。
 駅から車で数分の老舗デパートは、いい具合に閑散としてくたびれていた。そこには古くからの顧客、地元民たちの親情が層になって沁みこんでいるようで、最上階にあるカフェレストランも、のどかでホッとする場所だった。

 卒業式後の謝恩会だろうか、傍らにランドセルを積み上げた女子児童たちと大人たちが大テーブルで賑やかに歓談している。
 その様子を傍目に見ながら、私たちは少し離れた席に着き、それぞれケーキセットを注文した。
 窓越しに差し込む春の光が眩しくて、まともに目を開けていられない。視力の悪い人が遠くのものを見るときのように目を細めながら、窓を背にした母と話した。

 一通りの近況報告などをし合った後で、私は母に聞いてみた。
「私って、発達障害じゃないのかな」
 瞬間こそ母は驚いた顔をしたが、すぐに
「そうね」
 と言って、困ったように薄く微笑んだのだった。

 私の妹の子供には知的障害があり、母と妹はそれぞれ関連書籍などを何冊も読んで、そういった障害について彼らなりに勉強したそうだ。
 その中で、母は私に関して思うところがあったらしい。そしてそれは、妹もまた同じだったようだ。ある日電話を掛けてきて、電話口で母にこう聞いたと言う。
「お姉ちゃんって、アスペルガー自閉症スペクトラム)じゃない?」
 私は、何も知らされていなかった。

「でも」
 私は言った。
 “どうして”と考えて、答えの出ない問いに自分を責め続けたのは私だけではない。ムチャクチャな娘を前に、親である彼女はどんな思いを抱えて来たのか。私は、ずっと謝りたかった。
「でも、よかったよね。だってこれでわかったじゃない。ママたちは悪くないって。育て方とか、間違っていたわけじゃない」
 テーブルに身を乗り出し、懸命に訴える私に反して、母は冷ややかとも取れる態度で首を振った。
「違うの」
「何が?」
 母は、小学生くらいから気付き始めた私の特異な癖、関するエピソードをぽつぽつと挙げながら言った。
「子供の頃から、症状はあったんだから。でもママたちは、あんたのことをただちょっと“変わった子”くらいにしか思ってなかった。もっと早く気付いていたら……」
 カップに残ったコーヒーの水面を、私はじっと見つめた。
「気付くのが遅すぎた。あんたには、悪かったなって思ってる」
 泣くな。泣くな。強く制していないと、この明るい店内で、母の前で、涙が零れてしまいそうで、恥ずかしくて必死にこらえた。
「でも、あんたは今、なんとかかんとかでも自力で生活していけているんだからね」
 励ますように、また、釘を刺すようにして、母も恋人と同じようにそう言った。

 妹の子供に加え、母方の家系には知的障害のある子供が、私の知る限りあと一人いる。
 知的障害、発達障害の原因については、いまだ詳しくは解明されていないらしいが、遺伝子が素因として関わっている場合もあるという。
(※すべてが必ずしも遺伝に因るものではないことを改めて強調します)
 母方の遺伝子の中に素因となる因子が含まれていたとして、もし母の遺伝子が父ではない他の遺伝子と組み合わさっていたら、私もその子たちのように産まれていたかもしれないのだな。
 母の遺伝子と組み合わさったのが父の遺伝子だったから、私は私になったのだな。
 母と父でなければ、この“私”にはならなかったのだな。
 そこまで考えて、「それってスゴイ」と思った。まるで奇跡みたいだ。
 そしてごく幼い頃を除けば初めて、そんな自分のことを愛おしいとすら思えるのだった。

 障害をアイデンティティーにしてしまうことは危険だ。障害自体に依存しかねない。
 自分は、軽はずみに拠り所にしようとしていないか。さもおおごとのようにして、自分の嫌な部分から逃げているだけじゃないのか。
 私は、浅はかか。
 自分へ向けた問いがドロドロと渦を巻き、喉元までせり上がってくる。
 しかし、それが「障害」でも「個性」でも、今後ずっと付き合っていくものであるならば、死ぬまで生きる私は、自分で自分を好きになれる方に捉える。
 それに甘えず縋らず開き直らず、私は私を認めていく。
 ずっと、自分を認めてあげたかった。