部屋のおもいで
ハルはいまだに僕の部屋に入れない。
六年付き合ったのちの僕たちの同棲生活が三か月で破たんして、お互い別々の部屋へ引っ越してからほどなく、僕は新しい彼女を作った。
友人の紹介で知り合い、すぐに彼女との交際は始まった。
その後結局彼女と別れて、僕はハルの元に戻ったわけだが、ハルは
「あんたの部屋になんて一生行かないよ」
と言い張った。
前の人の物は全部捨てたから。大丈夫だから、と一度連れて来たときは、玄関先に突っ立って靴も脱ごうとせず、しばらくジト目で室内を見回したあとに、
「こんな部屋は嫌いだ!」
と乱暴に扉を閉めてしまった。
それからは毎回僕がハルの部屋を訪れていたが、一年半ほどが過ぎた頃、ハルがふと「もう大丈夫かもしれない」と言い出した。
二度目にハルが僕の部屋へやって来たとき。ハルは僕の差し出したクッションの上に座り込んだまま固まって、そこから動こうとしなかった。
他愛ない会話を交わしながら、ただ時折視線だけが部屋の中をすばしこく這うので、だんだん僕も落ち着かなくなってきた。後ろめたいものなど何もないはずなのに、出来ることならハルが見たくないものは見ないように、その目を布か何かで覆い隠してしまいたかった。
「こんなグラス、持ってたんだ」
テーブルに置かれた、僕の飲みさしのグラスを指差してハルが言った。僕は思わずぞっとした。
そしてやはり、耐えかねたハルは爆発した。
「これも、あれも、彼女と一緒に買いに行ったんでしょ? 彼女が選んで買ったんでしょ?」
矢は切っ先を光らせてあちらこちらに飛び散った。ハルと付き合っているときには持っていなかった物たち、ここに越してから新たに購入した物たちをすべて、前の人と結びつけて考えているらしかった。
「この布団でヤッたんでしょ? そのバスルームでも、ベランダでもヤッたよね?」
こんなとき、男の僕がたじろぐほどに、ハルは“そのこと”を露骨に口にする。
「イヤだ、気持ち悪い。ここにいたくない。吐き気がする」
膝を抱え込み顔をうずめて、苦しそうにうめいた。
部屋中に前の人の気配がみっちりと詰まっているのだと、ハルは言う。今も彼女がいる、と。
もう僕には“僕の部屋”でしかないその場所が、ハルにとってはいまだ“僕と前の彼女の部屋”であるらしかった。
何がそんなに嫌なのか。何にそこまでこだわるのか。僕にはいまいち掴みきれず、どうすればハルの気が済むのか途方に暮れるばかりだったが、ハルには昔からそういうところがあった。
僕がこれまで付き合ってきた彼女たちのこと、そのすべてを仔細に聞きたがった。
何を答えたって、自分からえぐり出しておきながら決まって癇癪を起こし、険悪な事態になるのもわかっているくせに、なぜあえて知ろうとするのか。まるで、自分を痛めつけるかのように。
彼女たちがどんな顔をして、どんな性格をしていたのか。どんな風に始まって、どんな風に終わったのか。
僕が彼女たちを、どのくらい好きだったのか。
私の想像はいつだってもっと悲惨になるから。それなら事実を全部知っておいた方がいいから、とハルは言う。詰問は、もちろんというべきか、過去の“そのこと”にまで及んだ。
「どんなことをしたの? 気持ちよかった? 私より気持ちよかった?」
勢いに気圧されて、さすがに僕が言いよどむと、
「私は、一番でいたいの。私が一番でいたいの」
と泣きながら地団太を踏んだ。
「一番だよ。ハルちゃんが一番だよ。一番かわいいし、一番気持ちいい」
慌てて僕が答えれば、嗚咽はますます激しくなり、「バカバカバカ!」と遮二無二殴りつけられたりした。
そのうち僕は、繰り返しぶつけられる一連の激情が、僕への単純なヤキモチからではないと気付き始めた。
ハルは僕を見ていない。その目は僕を通り越して、かつて僕と付き合った彼女たちに向けられている。
「僕を好きなあまり」というよりも、彼女たちの誰にも負けたくないのだ。そこから湧いてきている。僕の元彼女たちに抱く、ハルの敵意や憎しみは。
「比べないでよ、誰とも比べないで」
あるとき事が済んだあとに、突然ムッツリとしてそう呟いたハルは、僕に抱かれながら僕のうしろに、一体何を見ていたのだろうか。
過去の誰かと比較するようなことを、ましてそんなときに言うはずもないのに。ハルは勝手に僕の姿を借りて、自分で自分を追い込んでいる。
これでも一度別れてからは、多少はおとなしくなったのだ。
僕の部屋に色濃く残る(とハルが言う)女の人、その馴れ初めや彼女の歳や職業や、以前だったら根掘り葉掘り問い詰めるところを、ハルはそこまで追求しなかった。
こらえているのだ。心底は、聞きたくてたまらないのだろう。
僕は、別れてすぐに新しい彼女を作ったことを、一度もハルに謝らなかった。
自分を薄情だと思いはしても、結局は二人が別れたあとのことだ。ハルはしつこくそれを責めたが、謝れと言われても、僕に謝る道理はない。
そのとき僕たちの恋人関係は、すでに切れていたのだから。
しかしこうして今、かつての質問狂が知ることに怯え、知らずにいることを自らに課しているような態度を目にすれば、そこにいじらしささえ感じるのだった。
僕はこの人をひどく傷つけたのだな、と思った。
ハルは僕に、早く引っ越せばいいと言う。
「あ、でもこのままだと、今の部屋を思い出すときは自動的に彼女の思い出もくっついてきちゃうのか……どうしよう」
本気で頭を抱えている様が可笑しいので、言ってやった。
「俺は、いまだにハルちゃんと暮らしたあの部屋のことを思い出すよ。たった三か月だったけど、そっちの思い出の方が強いよ」
ふうん、と返事をしたあとで
「私はもうあんまり覚えてないけどね」
アハハ。ざまあみろと言わんばかりに笑う、僕の今の彼女である。
それは個性か障害か
最近、ある書籍についての内容紹介をふと目にしたとき、「これって私のこと?」と思った。それから色々と調べてみると、やはり面白いように当てはまる。
自分は、軽度の障害を持っているのかもしれない、と思った。
恋人は、
「俺も調べてみたけど、ああいうのはよくある星座診断や血液型の説明書みたいなもので、誰だって多少は当てはまる。それを障害だって言うなら、みんなそうだよ」
と言った。私を気遣っての言葉にも聞こえたが、私には「つらくても苦しくても、悩みながら頑張ってるのはみんな同じ。自分は特別だなんて考えるな。大目に見てもらおうなんて思うな」と、彼がなんだか怒っているようにも感じられた。
「うん。でも私は、そう思っていた方が楽になれる部分もあるの」
静かに反論すると、
「ふうん……そういうもんかね」と、彼は納得のいかない顔で呟いた。
「どうして自分が“こう”なのか」、ずっとハッキリ掴めずにいた。
どうしてみんなと同じようにできないのか。
どうして人の気持ちがわからないのか。
「1+1=2」みたいな正しさで、共通認識として周囲で話されていることが、どうして私にはピンとこないのか。
あまたの“どうして”を突き詰めていけば、やがて自分の人間性の問題へと行きつく。
私には心がないのかもしれない。まわりの誰よりも冷たく、劣った人間なのかもしれないと、自分で自分を責め続けた。
しかしここで見つけた原因らしきもの、それが先天的なものであることによって、「努力すれば“できる”のに、怠っているから“できない”」わけではなかったのだと、(すべてがそこに起因するわけではないだろうが)そう思えることでだいぶ気が楽になるのだった。
先日地元に帰り、母と会って話をした。
駅から車で数分の老舗デパートは、いい具合に閑散としてくたびれていた。そこには古くからの顧客、地元民たちの親情が層になって沁みこんでいるようで、最上階にあるカフェレストランも、のどかでホッとする場所だった。
卒業式後の謝恩会だろうか、傍らにランドセルを積み上げた女子児童たちと大人たちが大テーブルで賑やかに歓談している。
その様子を傍目に見ながら、私たちは少し離れた席に着き、それぞれケーキセットを注文した。
窓越しに差し込む春の光が眩しくて、まともに目を開けていられない。視力の悪い人が遠くのものを見るときのように目を細めながら、窓を背にした母と話した。
一通りの近況報告などをし合った後で、私は母に聞いてみた。
「私って、発達障害じゃないのかな」
瞬間こそ母は驚いた顔をしたが、すぐに
「そうね」
と言って、困ったように薄く微笑んだのだった。
私の妹の子供には知的障害があり、母と妹はそれぞれ関連書籍などを何冊も読んで、そういった障害について彼らなりに勉強したそうだ。
その中で、母は私に関して思うところがあったらしい。そしてそれは、妹もまた同じだったようだ。ある日電話を掛けてきて、電話口で母にこう聞いたと言う。
「お姉ちゃんって、アスペルガー(自閉症スペクトラム)じゃない?」
私は、何も知らされていなかった。
「でも」
私は言った。
“どうして”と考えて、答えの出ない問いに自分を責め続けたのは私だけではない。ムチャクチャな娘を前に、親である彼女はどんな思いを抱えて来たのか。私は、ずっと謝りたかった。
「でも、よかったよね。だってこれでわかったじゃない。ママたちは悪くないって。育て方とか、間違っていたわけじゃない」
テーブルに身を乗り出し、懸命に訴える私に反して、母は冷ややかとも取れる態度で首を振った。
「違うの」
「何が?」
母は、小学生くらいから気付き始めた私の特異な癖、関するエピソードをぽつぽつと挙げながら言った。
「子供の頃から、症状はあったんだから。でもママたちは、あんたのことをただちょっと“変わった子”くらいにしか思ってなかった。もっと早く気付いていたら……」
カップに残ったコーヒーの水面を、私はじっと見つめた。
「気付くのが遅すぎた。あんたには、悪かったなって思ってる」
泣くな。泣くな。強く制していないと、この明るい店内で、母の前で、涙が零れてしまいそうで、恥ずかしくて必死にこらえた。
「でも、あんたは今、なんとかかんとかでも自力で生活していけているんだからね」
励ますように、また、釘を刺すようにして、母も恋人と同じようにそう言った。
妹の子供に加え、母方の家系には知的障害のある子供が、私の知る限りあと一人いる。
知的障害、発達障害の原因については、いまだ詳しくは解明されていないらしいが、遺伝子が素因として関わっている場合もあるという。
(※すべてが必ずしも遺伝に因るものではないことを改めて強調します)
母方の遺伝子の中に素因となる因子が含まれていたとして、もし母の遺伝子が父ではない他の遺伝子と組み合わさっていたら、私もその子たちのように産まれていたかもしれないのだな。
母の遺伝子と組み合わさったのが父の遺伝子だったから、私は私になったのだな。
母と父でなければ、この“私”にはならなかったのだな。
そこまで考えて、「それってスゴイ」と思った。まるで奇跡みたいだ。
そしてごく幼い頃を除けば初めて、そんな自分のことを愛おしいとすら思えるのだった。
障害をアイデンティティーにしてしまうことは危険だ。障害自体に依存しかねない。
自分は、軽はずみに拠り所にしようとしていないか。さもおおごとのようにして、自分の嫌な部分から逃げているだけじゃないのか。
私は、浅はかか。
自分へ向けた問いがドロドロと渦を巻き、喉元までせり上がってくる。
しかし、それが「障害」でも「個性」でも、今後ずっと付き合っていくものであるならば、死ぬまで生きる私は、自分で自分を好きになれる方に捉える。
それに甘えず縋らず開き直らず、私は私を認めていく。
ずっと、自分を認めてあげたかった。
バンドマンと結婚
給与明細を開いて思わず取り落としそうになった。
体調不良で欠勤、早退と続いていたから、少ないだろうとは予想していた。
しかし明細に記載された金額。掛け持ちのバイトも辞めた今、これではやっていけない。
自分の顔が青ざめる音というのは、実際に「サッ」と自分の耳に聴こえる。
「……親に借りるしかないか」
重い指先で、近々実家に一度帰る旨だけ母親にLINEした。
お金なんてなくたって、やっていける。食費も光熱費も、切り詰めればなんとでもなる。そう高をくくっていた。
それが、現実にこうしてどうにもならない数字を突き付けられると、“お金がない”そのことに、
「ぽろぽろ涙が出てくるんだよね。切なくて」
モツ焼き屋の小さなテーブルに向かい合う恋人に私は言った。
「ああ、そうでしょ」
訳知り顔で、彼はレバー串にかぶりつきながら答える。
そこは彼が職場の後輩から勧められた店で、見た目は渋い大衆居酒屋という感じだが、客は地元の若者たちが多いらしく、店内BGMも明るいJポップが流れていた。
名物の牛すじシチューをはじめ、ハラミユッケ、串でカシラ、ハツ、シロなどまさにゾウモツばかりがテーブルに並ぶ。
「まぁ、親に頼むしかないよなあ」
と続けて言われて、それがまるで他人事のようで、他人事には違いないのだけれどふと腹立ちと不安を覚えて聞いた。
「もし結婚して、同じ状況になったとしてもS君(恋人)はそう言うの? 俺が、っていう気はないの?」
「そりゃ、俺に援助出来るくらいの額だったら出すよ。……でもなぁ、俺は俺でこのまま音楽は続けていくし、就職するつもりもないし、どうしてもってときは、やっぱり親に助けてもらうしか」
「それは、それはじゃあ結婚してもお財布は完全に別々って、そっちはそっちで、こっちはこっちでってことなんだね」
「その方がうまくいくと思うよ」
事も無げに言われて、わかっていたはずなのに、ショックを受けていた。
「俺たちは、お互いが自分のことしか考えていないからうまくいってるんだよ」
かつてただの恋人同士だった時に言った彼の言葉が、今結婚に際して皮肉な響きを持って思い出される。
養ってくれとまでは言わないが、「俺が多めに稼ぐから、はるちゃんは今までより少しはラクしていいよ」そんな言葉を期待していた。
そう口に出すと、
「そういうのを望むなら、俺と付き合ってちゃいけないよ」
彼もまた不機嫌を露わにして言った。
「そんな風に言うなら俺だって、はるちゃんがもし銀行とかで正社員として働いてたら……」
彼の叔父もまた芸術家で稼ぎは少なく、銀行員である妻が家計を支えていた。それを引き合いに出しているのだ。
「だったら何? 私に養われて、自分は思う存分音楽ができるって? 男としてのプライドはないわけ?」
「そんなことは言ってないだろ」
俄かに口調が厳しくなって、このまま続ければ泥沼になる。
彼に対して、稼ぎに言及することはタブーなのだ。傷つけることはわかっている。
ある男の人は「同棲してる彼女が仕事辞めて無職になっちゃって、このまま俺が養わなきゃならないのかなって、すごい不安……」と言っていたし、また別の男の人は「彼女にもっとちゃんと今後の仕事のこと考えてよって怒られて、将来的に俺の稼ぎアテにしてんのかよって、むかつくんだよな」と漏らしていたし、今どき男のプライドなんて持ち出すのは古いのだな、とハッとさせられたのだった。
ただ、私は母に言われた一言が引っかかっていた。
彼と婚約したことを報告した後に、
「一人暮らしだとやっぱりお金貯まらないし、しばらく実家に戻ってほどほどにバイトしながら貯金しようかなあ」
と、八割本気で打ち明けたところ、母はたちまち顔を曇らせた。
「それ、Sさんはどう言ってるの? あんたね、結婚したらもう相手方の家に入るってことなんだから、そう無闇にウチは援助しないからね」
それが、甘え腐った娘に発破をかけるための言葉で、真実困ったときにはきっと助けてくれると思ってはいたが、やはり衝撃は大きかった。
結局、経済的に自立したように見えても、いざという時の後ろ盾としての両親の存在が私に安心を与えてくれていたのだった。
結婚したら、頼れなくなるのか。途端に動悸が激しくなった。
そもそも、結婚ってなんだ。家族ってなんだ。
今でこそ自分で働いてなんとか生活していけているが、私には十代の頃、五年間引きこもっていた時期がある。
またあんな状態になってしまったらと、いまだに自分にヒヤヒヤしている。誰にも会いたくない。一人でいたい。もう、外では戦えないと、来る日も来る日も一日中部屋にこもって過ごしたあの時期。
今の私は、あの頃の私とは違うし、それなりに処世術も適当さも身に着けたつもりでいる。でも、もし。そう考えると怖くなる。
親にも頼れない、彼にも迷惑はかけられない。
まして、この先自分に守るべき存在が現れたとしたら。経済的にも肉体的にも、私が手を放したらすぐに息絶えてしまうような、小さな小さな存在が、私の前に現れたとしたら。
のしかかるプレッシャーに、思わず足がすくむ。
結婚するとは、家族になるとは、私が私一人では生きていけなくなるということだ。
たとえば気持ちがダメになって働けなくなったとして、私一人であればその責任は私だけが負えばいい。(とはいえ「ごめんなさい」と泣きながら親に助けを請うだろう。親ならばいい、という身勝手な甘えから)
しかし“結婚”や“家族”となった場合、私の責任は配偶者や子供に対しても及ぶ。もう無理、となっても逃げられない。逃げたら彼らに迷惑がかかるという、そのことが恐ろしいのだった。
そもそも私は別居婚、週末婚を希望していて、まして財布も別となれば、私たちはなぜ結婚するのだろう。
左手の中指(彼がサイズを間違えたため)にはめられた婚約指輪を見て思う。
「かりそめだ」
結婚を確約するものというよりも、「結婚してもいいくらいはるちゃんのことが好き」という彼の表明として、私は“これ”が欲しくて、だから喜んで受け取ったのではないか。
“これ”が欲しかっただけではないのか?
私は、彼とずっと一緒にいられればいいのだ。
「私たち、結婚しなくてもよくない?」
ハツの最後の一かけを差し出してくれる彼に、さすがに口に出しては言えなかった。
しかし、する前から不安がって、しないことを選んでばかりいてはいつまで経っても先には進めない、とも思う。
いつまでもふわふわとしていて考えが浅い、子供っぽいと言われ、誰かを頼りにしてばかりいる私が変わろうと思うきっかけになるかもしれない。
飛び込んでみて、ダメになりそうになったらそのときなんとかする。
そういうものでも、いいのかもしれない。
次々にやって来る客で店内が満席になったころ、私たちは腰を上げた。会計は、彼が少しだけ多めに出した。
地下都市とモテ
人に心があることを、忘れている間はやり過ごせる。
朝の通勤電車、休日の街中。行き交う人、人、人。
その容れ物の中すべてに、“精神”がある。
そのことが脈絡もなく唐突に意識の上にのぼってくると、たちまち恐ろしくなって足が竦む。
人の内面は、地上から何万メートルも深く潜った地下都市のようなイメージだ。そこで膨大な感情や思考が渦巻いている。明るいのも、暗いのも。
何十億という人一人一人が抱えているそれらのことを想像すると、果てしなさに気が遠くなる。
ひしめく人間たちが、目に見える顔、身体の奥に、同じ数だけ心を潜ませている。表面からはうかがい得ない。皮膚に隠したその中で何を思い、何を考え、何を感じるのか。
人の姿はやがて、地下都市へ続く黒い穴となって、いくつも私を取り囲んでいる。
怖い。圧倒的だ。
日曜。終電一本前の電車に乗る。月曜まであと数分、車内はすいていた。
ある駅で、酔っ払いらしい三人の若者が乗り込んできた。それぞれだらしなく手足を伸ばし長座席を占領したが、うるさく騒ぎたてることもなかったので幾分かホッとしていた。三人はすぐに眠り込んだ。
電車がしばらく走ると、そのうちの一人、豆腐のように白い顔をした男がフラフラと立ち上がった。よろめきながら車内を歩いていき、ドア付近にしゃがみこんで吐き始める。ああいやだ、と私は思う。
男は落ち着くといったん座席に戻るものの、何度も立って吐く。ついには二人の連れを残して一人、ホームに転げ出るようにして電車から降りてしまった。
眠りこけていた残りの二人はやがて降車駅に着いた様子で、目を覚ますとそのまま何事もなく降りて行った。
私はそれを見て、少なからず動揺したのだ。
おそらく途中下車した男は彼らの友人だろう。LINEなどですぐに連絡は取れるにしても、いなくなった友人についてそんなに心配しないものだろうか。
友人関係とは、そんなになおざりでいいんだ、と。
人と一緒にいるときには、ちゃんと相手と向き合っていなければならない。それが礼儀だ。
強迫観念のように、そう身に沁みついている。
誰かといるときはその誰かが中心なので、頭の中でさえ自分のことが何もできない。瞬間瞬間の対応に気が休まらない。
だからこそ窮屈で、それは自分の、誰からも嫌われたくない性分のせいでもあるのに、時折人といることに勝手にひどく疲れてしまうことがある。
真っ向から向かい合うには、ただ一人、恋人である彼だけで私には手いっぱいだ、と思う。
かつて職場の同僚が、ニコニコしながら近づいてきて言ったことがある。
「ねぇ、玉木さんがなんでモテないか教えてあげようか」
私は純粋に興味があったので聞いてみた。
「え、なんでですか」
「人に、常に全力だから」
思わずハッとした。
「安心はするけどね」フォローするようにそう付け足して、彼は軽やかに去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、私は妙に納得して嘆息を漏らした。
嫌われたくないばかりに、誠意を全面にあらわして目の前にいる相手と接していたつもりだったが、どうやら“モテ”に関しては、時につれなく素っ気なく振る舞うことも有効らしい。
それを、私はこのとき教えられたのである。
地下都市を前に、やはり私は右往左往だ。
負けたくない彼女(2018.3.2)
ちょっと読ませてよ、と言うのでスマートフォンにこのブログページを表示して恋人に手渡した。
私の部屋で二人、コタツに足を突っ込み、私は寝っ転がって、彼はコタツテーブルに肘をついて、怠惰で緩慢な時間をやり過ごしていた。
その日薄暮の時刻に、近くの街で夕食を、と落ち合った。
ウロウロと歩き回り、ピザハウス、回転寿司、行列のできるカレー屋などの店先を覗いてみるも決められず、
「S君(恋人)が決めて」
と私は投げた。彼は即答で「○○」と、下町大衆居酒屋の名を口にする。俺に選ばせるとそういう店になるよ、と笑うので、私は改めて立ち並ぶ飲食店を検分し始めた。
以前彼に付き合ってそういう店に入ってみたら、店内をぐるりと占めるコの字型のカウンターに人一人分の余白もなく客がひしめき合い、酔客の喧騒と店員の活気にあてられて、私は尻の据わらない思いをしたのだ。
「ああいう店も、たまにならいいんだよ?」と言いながら結局落ち着いたのは安定のカツヤ。しゃぶしゃぶ食べ放題90分999円。我ながら退屈な落としどころである。
ペラペラの豚肉を湯がいては次々に平らげ、店を出る頃には二人ともすっかり腹がくちくなった。それでも途中のコンビニで、私はピーナッツチョコレート、彼はつまみとワンカップの日本酒を買う。
最寄駅から出た途端、カパ、と音を立てて蓋を開け、さっそくワンカップをあおり始める彼。私もチョコレートをつまむ。
「意外に合うんだ。チョコと」
とカップ酒を差し出すので一口含んでみるが、苦い。喉の奥がカァッとなって、すぐに彼の手に押し戻した。
そうしているうちに、部屋へ帰り着いた。
「ハァ、なるほどね」
区切りのついたらしい彼が声を出したので、私は読んでいた本を伏せ起き上がった。
そこから怒涛のダメ出しである。
「まず……」と全体の感想から始まり、次に「ここは……」と細部の落ち度を指摘し講釈を垂れる。
「酷なこと言うようだけど」という前置きが、いたずらに私を縮こまらせた。
「はぁ……。はい……」
冷徹な教師に叱りつけられた小学生のようにおとなしく返事をしながら、「本なんて、私より全然読んでいないくせに」と心の中で悪態を吐いた。しかし彼の言うことは存外的を得ているのだった。それでも悔しいのに変わりはない。
身を捩って傍らのクッションに顔を埋めると、悔しさに涙が出てきた。
彼は続ける。
これまであまりに泣きすぎて、私の涙は彼にもう動揺を与えることもないらしい。
「S君は、一回も私を褒めてくれたことがない」
ポツンと呟いてみると、思いのほか勢いがつき、起き上がって私は言った。
「S君に褒められたい。はるちゃんて本当はすごいんだ、頭いいんだって思われたくて書いてる」
これほど頭の悪い発言もあるまい。さすがに彼も呆れて物も言えない様子であった。
それでも私は、やけくそのように言ってしまってから、その幾分かには本気が含まれていることに今さら気付いた。
「はるちゃんは、なぜか俺のことを“ライバル”だと思っているね」
あるとき首を傾げながら彼が言い、自分でも思い当たる節があったので一緒になって首を傾げた。
彼の音楽、もしくは彼自身が評価されたような話を彼の口から聞くと、「すごいね!」と言いながらもどこかで悔しいと思っている。
彼の“彼女”としておそらく喜ぶべきところで、私は「負けたくない」と思っている。
バカにしていたいのかな。
いつまでも上に立っていたいのかな。
他人に頭が悪いと思われる分には「仕方ない」と思えるが、恋人が私をバカにすることは許さない。
昔付き合っていた人には「あんたは、俺のこと下に見てるもんな」と言われた。
「見下せる人でないと、付き合えないのかもしれない」
思いつくままにつらつらと口にしていると、
「それは」
それまで黙って聞いていた恋人が呟いた。
「最低だな」
そんなことを思い出していると、いい加減に飽きたのか私に向かってスマホを放り、あくび交じりに彼は言った。
「第一、書かれてる俺がそれを褒めるっていうのもどうなの」
それもそうか?とうなずいた。
なんて魔法的
数年前、くるりのライブの最中に突如涙が止まらなくなったことがある。
「どうにもならないことってあるんだ」
それは天啓のように閃き、実感となって身に浸み込んだ。
アンコール曲も終わり会場が明るくなるまでずっと、私は泣きとおした。
不思議な体験だった。
Zepp Divercityで行われたそのライブは、くるりの二十周年を記念したライブシリーズで、かつての曲を中心に最新曲も織り交ぜながら、“今”の彼らが演奏した。
恋人と別れて一年が過ぎた頃で、元恋人にはすでに新しい恋人がいて、それでも時々は二人で飲みに行った。
愛しさや憎しみなど混在した感情は私の中にありありと残っていたが、彼の不在の存在を前に、自分がどうしたらいいのかわからなかった。
同じくくるりファンである彼は、わざとかそうでないのか別日に行くと言っていて、「一緒に行けたらよかったのにね」という言葉も果たして本心なのか。東京テレポート駅まで向かうりんかい線の座席シートは、海の底みたいに青かった。
言葉で説明するならあれは、「好きな人を“完全に”諦める絶望」だった。
頭のどこかで「それでも」と願い、期待していた。
『今日でさよなら 言わなきゃ』
そう岸田さんは歌った。
もう二度と、一緒に聴けない。
興奮してライブの感想を伝え合うこともない。
今後くるりが新曲を出しても、彼がどう聴いたか、私は知れない。
別れるとはそういうことだ。反響する音楽の中で、唐突に、生々しく、私は理解した。
けれど涙の理由は、それだけではなかった。
たとえばあの曲やあの曲を、彼も好きでよく一緒に聴いたとか、ギターで弾き語りをしてくれたとか、そんな安直な感傷もたしかにあったかもしれない。
でも思い出よりも、彼らの音楽が呼び起こしたのは「恋」だった。
彼に対してではない。特定の誰か、外に向けたものではなく、自分の内へ内へとこもったもの。
胸をぞうきんみたいに絞られてジャアジャアと、情動が私の中を浸した。
心の琴線に直に触れられて、どうしようもなく涙が溢れる。
恋の成分に至極似たものが吹き荒れ、私は嵐になった。灘の渦の中へ、感情がトリップしたのだ。
音楽の魔法だ。空気の振動と周波数で、こんなにも揺さぶられる。
よりによって某作曲家の方に、そんなことを話してしまった。その人は、
「いや、ちゃんとルールもセオリーもあるけどね」
と困ったように苦笑していたが。
またあるとき、どストライクな曲を見つけて恋人に聴かせたところ、曲も作る彼は訳知り顔で言った。「ああ、はるちゃんてこのコード好きだよね」
どうやらそうとは知らず、同じコード進行の曲ばかりを好きになっていたようだ。
そんなとき、「ちがうちがう、そうじゃない!」と地団太を踏む。
そこには、響きの科学も作り手の意図も越えた何かがあって、胸を打つ。
「もうダメだ」となったときでも、音楽に感動できるうちは大丈夫。
そんな信念めいたものが、私の中に漠然とある。その何か、湧き上がるものを感じたとしたら、それを感じ取れる力が自分にまだ残っているということだ。
あのライブの日、獣のように泣きながら私は、「まだ大丈夫だ」と、思っていた。
信じるものは何
珍しく恋人が「二人のことで歌詞ができた」と言う。
売れないバンドマンの彼であるが、“彼女”について書いた曲はほとんどない。果たしてどんなものかと送られたファイルを開いてみた。
それは、年月の手でなめされた二人の日常の中で「僕はこんな風に想っているよ」と彼なりの思いを綴ったものだった。
彼らしいと言えば彼らしく、こそばゆい嬉しさがこみ上げる。
しかし、どこか乾いた目で眺める自分がいる。
たとえばそれがラブソングだとして、こうして何ということもなく、本人の前で披露できてしまう。まるで他人事のように。
そこには虚構も脚色もあり、歌詞の中の彼と彼自身の気持ちには距離がある。現実の彼は安全地帯にいて、真に私的とは思えないのである。
言葉が染み込まない。
「あなたは別に私じゃなくてもいいんだよ」
ヒステリーを起こして、そんな風に彼に突っかかることがある。
「あなたにとって、私は代替可能なの」
「そんなことないってば。はるちゃんが思っているよりも俺は……」
そのたびに彼は、いかに自分が私のことを必要としているか。私がいなくなればどうなるか、を説く。
それにもそっぽを向いたまま、しかめっ面を続けていると、やがて彼はため息を吐いて言うのだ。
「ほらね。俺がこういうことを言うと、はるちゃんはすぐ疑う」
信じないよね。呆れて、そして少し悲しそうに。
私はまた、自分本位なばかりにこの人を傷つけているのかなと思う。防衛本能でガッチリと固められた私は。
元々、彼が軽はずみ(と私には見える)に言葉を口にすること。言ったことをコロコロ変えるところが私は嫌いだったが、一度別れてからは特に厳しくなった。
「はるちゃんで詰みだ、って言ったくせに」
「あんたは嘘つきだ。うそつきうそつきうそつき」
「守れないことは口にするな。逆に、口にしたことは必死で守れ」
かわいそうに彼はすっかりビビって、“絶対”のない未来の約束や気持ちの約束めいたものをあまり口にできなくなってしまった。
「そのときは、本当にそう思ったんだ。本当の気持ちだったんだよ」
私に散々いじめられ、叱られた子犬のようにしょんぼりと彼は言った。
たしかに、“絶対”を第一にすれば、私たちは何も言えなくなってしまう。さすがに胸が痛んで反省した。
彼について、私が信じているものはなんだろう。
考えたときに浮かぶのは、初めて裸で体を合わせたとき。その腕に抱かれて、壊れるほど早鐘を打つ彼の鼓動が私の胸をも叩いた。
互いの体の確固とした境界線を破って伝わってきたものに、私は感動した。
もうひとつは、付き合って一年経つか経たないかの頃であったと思う。
当時勤めていた店の客が「俺は死ぬ」と言い出した。うなだれて、薄い笑いを顔に張り付かせたまま言った。
「もういいんだ全部。俺は近々死ぬよ」
私はぞわぞわと怖くなって、しかし誰に相談することもできず、彼に泣きついたのだ。
退勤後のその足で彼の部屋まで向かい、詳細は伏せたまま、事情を説明した。
さすがに驚いたらしい彼はしばし黙り込んだが、すぐに、いまだ動揺を続ける私と向かい合った。改めて、しっかりとした口調で私を安心させようとし、具体的にできることを探してみせた。
昂ぶり散らかった頭で聞くともなしに聞きながら、私はふと、目の端にあるものを認めた。
それは、彼の手だった。私から隠すようにして後ろについた彼の手が、物も持てないほど、ガクガクと激しく震えているのだ。
その瞬間に、崩れ落ちた。
結局一件は「心配かけてごめんね」という客からのメールで落着したのであるが、だがあのとき。
彼は、私の中の何かをぐしゃぐしゃにした。ぐしゃぐしゃにして、彼の前で私はむきだしになったのだ。震えるほどの恐怖と緊張を押し隠していた彼を、たまらなく尊いと思った。
もう何年も前のことだ。
でもずっと覚えている。あのときの、彼の胸の鼓動も、手の震えも。
そういうものを、信じている。
好意を表す「言葉」というものを、差し出されれば嬉しい。だがそれは、飾ることも偽ることも裏切ることも可能だ。信じるか信じないかは自分次第である。まだ私には、勇気が足りないのかもしれない。
誤魔化せない身体の生理的反応をこそ、信じられる。
最近彼は私への気持ちを表すのに、
「はるちゃんは俺にとって、死んだら一番悲しい人」
と言う。
それはそれで、素直で真実らしく、信じられそうだ、と思っている。